No.002    【日本のアルミ初めて物語】  PAGE 1

 今やその消費量が文明化の一尺度とも見なされるようになったアルミニウムであるが、その存在が明らかにされたのは1807(文化4)年のことで、未だ齢200歳にも満たない若く新しい金属である。1854(嘉永7)にフランスで金属還元法が発明されてアルミニウムを金属として手にすることが出来るようになったが、その銀に似た光沢と軽さとが評価されたものの、1856年でもKgあたり1,000フランと高価格だったため、その用途は当初ネックレスやブローチ等の装飾品に限られ、まさしく「軽銀」とみなされていた。

 そのアルミニウムに工業的利用への途を開いたのは1886(明治19)年の電気分解法の開発であり、以後1891年にはKg10フラン、1898年にはKg3フランと低価格化が進み、その用途は急速に拡大した。

 我國にあっては、慶応3年(1867)に早くも洋学者の柳川春三が、その著『西洋雑話・巻一』に「新銀ならびにアルミニウムと名付くる金属の説」を書いているのには驚かされる。

 その日本に初めてアルミ地金が輸入されたのは明治20年(1887)であるが、何らかの用途があって、というよりは新しい金属の紹介がその目的であったようである。

 しかし翌明治21年、そうした新金属のアルミニウムが、鋳物部品の形でもう我国に導入されていたことは最近まで知られていなかった。それには理由がある。

 昭和39年に皇居に新宮殿が造営されたことはよく知られているが、その際に皇居正門鉄橋いわゆる二重橋も架け替えられ、橋畔に据えられていた飾電燈も新造されることになった。古い飾電燈のうちの一基が東京芸術大学に下賜され、資料館の入口に据えられていたが、100余年の風雪で老朽化が進んでいたため、平成4年2月から補修復元のため解体された際、その一部に当時誕生間もないアルミ鋳物が使われていたことが判明したのである。

 この飾電燈は二重橋と共に明治20年にドイツ・デユイスブルグ市のハーコート社で製造され、翌21年10月に皇居に据えられたものであるが、照会したドイツ鋳物協会からの回答では、実際の鋳造はハーコート社ではなく社名未詳の鋳物会社に外注されたもののようである。

 アルミ鋳物部品は、ランプの頂部キャップとガラスグローブを支える底部のグローブ受けとグローブ止めで、その化学成分はCu3.1 %, Si1.2%, Fe1.1%であり、現在のJIS規格にあてはめると AC1A に近い。Cuが意図的に添加されているのは、強度や機械加工性の向上に有効なことが既に知られていてのことと考えられるが、まだ脱ガスや結晶微細化処理は行われておらず、グローブ受けリング中央に大きな引け巣が認められることも当時としてはやむを得まい。


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